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インドネシア国会が反ポルノ法可決
インドネシア国会は30日、論争の的になっていた「反ポルノ法案」を可決、同法は成立した。

ポルノ画像などの規制を求めるイスラム保守派が主導したが、少数派宗教の信者や野党は警戒を強めている。

法案はポルノを「性的欲望を刺激するものや、道徳に反するもの」と定義。対象を動画や写真、音声、漫画などのほか、公衆の面前での演技にも広げた。違反者は最長15年の禁固刑や罰金が科される。

イスラム保守派が提議し、05年に法案が出された後、ヒンドゥー教の裸体をかたどった像や、ジャワ伝統の腰をくねらす踊りまで規制されるのか、といった論争が起きて採決は見送られてきた。今回は来年4月に総選挙を控える中で多数派のイスラム教徒の意向が反映された形だ。

最大野党の闘争民主党は「ポルノの受け止め方は人によって違いがある」と反対。ジャカルタ・ポスト紙によると、観光への影響を避けるため、バリ島などで外国人が肌を露出した水着を着ても罰せられないようにするという。
【朝刊】
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【2008/10/31 00:00】 | 東南アジア |
タイの反政府団体が蜂起
タイの首都バンコクで26日早朝、反政府集会を続ける民主主義市民連合(PAD)の多数のメンバーが国営放送局を占拠した。

首相府も包囲し、予定されていた閣議を阻止する構えだ。政府の退陣を求め、軍の決起を促しているとみられる。サマック首相は軍首脳と対応を協議している。

PADのメンバー約80人が午前5時半(日本時間午前7時半)、国営放送局NBTに侵入しようとして警察に逮捕された。銃器やナイフで武装していたとされる。約3時間後にも再び姿を現し、今度は突入に成功。職員らを追い出して一時、放送を止めた。政府寄りの報道姿勢を改めるよう求めている。

反政府派は首相府も約1万人で包囲し、さらに財務省や警察庁に向かってデモを開始した。バンコクでは、あちこちで大渋滞が起きている。警察や軍は動いておらず、「クーデターはあり得ない」(陸軍司令官)としている。

PADは06年に結成された反タクシン元首相の団体。元首相の直系とされる現政権の退陣を求めて5月から連日、集会を開いている。タクシン元首相が英国に亡命した後も、反政府活動を続行すると宣言。26日の大規模行動を予告していた。
【夕刊】



<プーケット国際空港、反政府デモ拡大で閉鎖>
タイ航空は、反政府デモの全国的な広がりを受けて、南部の観光地プーケットにあるプーケット国際空港が29日閉鎖されたと発表した。

タイ航空の広報担当は、ロイターの取材に対し「管理当局がプーケット空港の閉鎖を発表したことから、運航が停止している」と述べた。
【朝刊】2008年8月30日



<バンコクに非常事態宣言>
タイの反政府団体・民主主義市民連合(PAD)と政府支持派の群衆数千人が2日未明、バンコク中心部で衝突し、1人が死亡、多数の負傷者が出た。サマック首相は午前7時(日本時間同9時)、首都に非常事態を宣言した。

午前0時ごろ、王宮前広場に集結していた数千人の政府支持派が打倒PADを叫びながら首相府へ向けて行進。約1万人が座り込みを続けるPAD側が首相府の外に出て、ラチャダムノン通りで迎え撃つ形となった。午前1時半ごろ、どちらかが発砲。警官隊が制止できず乱闘になった。男性1人が撲殺され、銃で撃たれるなどして約40人が負傷した。PADの占拠以来、死者が出たのは初めて。

非常事態宣言下では、5人以上の集会が禁止されるほか、政府施設の保全や報道検閲が認められる。しかし事態収拾の指揮を任されたアヌポン陸軍司令官は同日午後、記者会見し「議会制度のなかで解決を図る」と話し、強硬な手段はとらない考えを明らかにした。

PADは首相府の占拠を解かない構え。軍がPADの排除に当面乗り出さない可能性が高く、首相も辞任を拒否しているため、混乱収拾の見通しは立たなくなった。

約4千人の軍・警官が周辺に展開し、中心部の学校が休校となるなど、首都は騒然としている。バンコクは首都としては世界最大の邦人社会があり、約3万2千人が在留を届け出ている。日本大使館は首相府などに近づかないよう呼びかけている。
【朝刊】2008年9月2日



<軍は中立強調>
タイのサマック首相による非常事態宣言を受けて、アヌポン陸軍司令官は2日午後、記者会見し、首相府に立てこもる反政府団体・民主主義市民連合(PAD)を強制排除する考えがないことを明らかにした。

同時に政府を転覆するクーデターの可能性も否定。事態収拾のげたを預けられた軍が中立を宣言した形だが、混乱が収まる道筋は一層、見えにくくなった。

PADが実力行使を始めた8月26日以来、政府とPADは軍をめぐって綱引きを続けてきた。

PADは放送局を占拠したほか、省庁への侵入やバンコクと地方を結ぶ主要道を封鎖、南部の空港に押しかけて閉鎖に追い込み、列車を運休させた。「民間版クーデター」(外交筋)ともいえる蜂起だったが、軍の決起だけが足りなかった。

PAD代表の一人で軍出身のチャムロン元バンコク都知事らは、軍内部の「不満分子」を糾合しようとしたが、国防相を兼務するサマック首相がこれを事前に察知して、軍最高司令官室に駆け込んで反乱回避を要請して防いだという。

首相は27日、いったん首相府占拠に対して法的措置をとる構えを見せながら28日に一転、強制排除はしない方針に転じた。関係者によると、首相が非常事態の宣言を提案したところ、アヌポン司令官が拒否。辞任か解散かを進言されて強硬策を思いとどまったようだ。今回は反政府派と政府支持派の流血衝突が宣言につながったが、軍側が持ちかけた形跡はない。

首相は「PADは流血を招いてクーデターを呼びこもうとしている」と批判してきた。だがPADは2日未明の衝突について「与党議員が支持派をあおった」と指摘。非常事態宣言を引き出すために仕掛けたと主張する。

PADはタクシン元首相追放をめざして06年に結成。同年9月のクーデターでその目的を達した。だが、07年末の総選挙で「元首相の代理人」を自任するサマック氏率いる「国民の力党」が大勝し政権を奪還した。PADとすれば、支持する野党・民主党が選挙で勝てない以上、06年のように街頭活動で軍が出動する状況をつくり出すしか道はない。

しかし今回、軍を取り巻く状況は変化している。タクシン時代に軍は冷遇され、予算も削られたが、クーデター後は大幅に増額された。失った権益や天下り先も取り戻した。一方でクーデターとその後の政権運営の評判は内外で散々で、政治介入には「懲りた」状態だった。

アヌポン司令官はタクシン氏と予備士官学校時代の同期生でサマック首相との関係も悪くない。今回、事態収拾への指揮権を委任され、国の命運を握る地位が転がり込んだ。だが、元首相派対反対派の社会対立が続くなか、解決の選択肢は限られる。

話し合いで済むなら、そもそも非常事態宣言の必要はない。辞任も下院の解散も首相は拒んできた。解散、あるいは大連立ではPADは納得しない。時間がたつうちにストライキの拡大などで混乱が深まれば、結局、軍が首相の首をすげ替えざるを得なくなるシナリオも浮上する。
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【朝刊】2008年9月3日



<テート外相が辞表提出>
タイのテート外相が3日、辞表を提出した。政治筋が明らかにした。

前任者が反政府団体・民主主義市民連合(PAD)の追及などで辞任に追い込まれた後の7月末に就任したばかり。理由は明らかではないが、政局混乱のなかでの重要閣僚の辞表提出はサマック政権に大きな打撃だ。

テート外相はPADによる首相府占拠について8月27日、「タイの政治進化と民主化のプロセス」とのコメントを出していたが、野党民主党のスクンパン下院議員は「現在の政局を外国メディアに説明するのが苦痛になったのではないか」と話した。夫人の病気が理由との報道もある。

タクシン元首相の法律顧問だったノパドン前外相は、カンボジアがユネスコに申請したクメール寺院、プレアビヒアの世界遺産登録に同意したことでPADなどに激しく批判され、共同声明への署名を裁判所から「違憲」と判断されて辞任した。テート外相は駐米、駐仏大使や外務次官を務めた職業外交官で、民主党の受けも良かった。
【朝刊】2008年9月4日



<タイ憲法裁がサマック首相に辞任命じる>
タイ憲法裁判所は9日、サマック首相が在任中にテレビの料理番組に出演した問題について、首相の行動は憲法違反だとの判断を下し、辞任するよう命じた。

それを受け、サマック首相の退陣を求めて首相府を占拠している市民団体のメンバーらは、裁判所の判決に歓声を上げた。一方で、サマック首相が一度辞任しても再び首相に指名されるだけだ、と懸念する声も出ている。

タクシン元首相派でサマック首相が属する与党・国民の力党の幹部は、判決後すぐに「われわれの党の指導者は首相だと主張する」と述べ、サマック首相を再び首相に指名する考えを示した。

サマック首相は今のところ、判決に対して何の反応も示していない。
【朝刊】2008年9月10日



<サマック氏が首相再任断念>
タイのサマック前首相は12日、首相再任へ向けた立候補を辞退する意向を表明した。

同氏の再指名を決めていた最大与党・国民の力党(PPP)から造反議員が出たほか、連立5党が欠席して首相指名の下院本会議を開けなかったことから、再任断念を決めたとみられる。PPPは、新たな首相候補選びに入った。

首相府を占拠するなどの反政府活動を続ける民主主義市民連合(PAD)は、PPPの首相は誰であっても認めないと表明しており、サマック氏の退場が政治混乱の解決につながる可能性は低い。

サマック氏の秘書によると、サマック氏はPPPの党首も近く退くという。

連立5党は、サマック氏以外ならPPP候補を受け入れる意向を示している。PPPはソムチャイ副首相とソムポン法相の2人を軸に党内調整を始めた。

12日の本会議には、議員総数470のうち単独野党・民主党161人のみが出席。開会に必要な議員数が得られなかったため、首相指名は17日に延期された。PPPによると、連立を組む全5党の欠席と、PPPからも多くの造反者が出ることが確実となったため、再指名は不可能と判断し、サマック氏支持のPPP議員も欠席した。

本会議後、PPPと連立を組む国民党などは「サマック氏の再登板では政治混乱はおさまらない」として再指名の反対を決定した。同様の理由でPPPからも約70人が反対を決めた。

PPP執行部が11日に再指名を決めたサマック氏の首相再選は事実上、連立与党に拒まれた形となった。
【朝刊】2008年9月13日



<バンコクの非常事態宣言解除>
タイのソムチャイ副首相(首相代行)は14日、首都バンコクに発令した非常事態宣言を解除した。

首相府を占拠する反政府団体・民主主義市民連合(PAD)と政府支持派の群衆がぶつかり、多数の死傷者が出た後の2日朝にサマック前首相が出したが、軍がPADの排除に動かず、事態の収拾につながらなかった。

ソムチャイ副首相は14日、指揮権を委ねられていたアヌポン陸軍司令官らと記者会見し、「宣言を維持するほど治安状況は深刻ではない。経済への打撃も考慮した」と解除の理由を説明した。

非常事態宣言下では5人以上の集会が禁止される。サマック前首相は、軍の力でPADの排除をねらったが、アヌポン司令官は「中立を守る」と介入を拒否。その後も首相府占拠は続き、前首相も「誰も従わない宣言に意味はなかった」と述べ、結局は「裸の王様」の状態だったと認めざるを得なかった。

宣言以降、観光客の数は大幅に落ち込み、経済界も「バンコクをイラクのような危険地域と思わせるだけ」(タイ工業連盟のサンティ会長)と早期解除を求めていた。

サマック前首相は9日、在任中に料理番組に出演して報酬を受け取ったことが、憲法に定められた閣僚の副業禁止規定に違反するとの判決を受けて失職。返り咲きに執念を見せていたが、与党内の造反で実現しなかった。

国会は17日に新首相を指名するが、最大与党・国民の力党(PPP)が有力候補に推すソムチャイ副首相はタクシン元首相の義弟にあたり、PADは抗議活動を続けると宣言している。アヌポン司令官は、全党参加の「挙国一致内閣」を提案しているが、PPP側の拒否反応が強い。

新首相の指名後、10月から始まる新会計年度の予算が成立すれば、下院解散による局面打開を求める動きが活発化しそうだ。
【朝刊】2008年9月15日



<タイ新内閣スタート>
タイのソムチャイ新首相の内閣が25日、プミポン国王の前で宣誓し、正式にスタートした。

「国民和解」を最大目標に掲げるが、1カ月にわたり首相府占拠を続ける反政府団体・民主主義市民連合(PAD)は、引く構えを見せていない。与党は幹部の選挙違反で解党の危機にあり、タクシン元首相の影響力低下で亀裂も表面化。新内閣は短命との見方がもっぱらで、政局混迷の出口はなお見えない。

バンコク中心部にある首相府。PAD幹部は25日も「元首相の取り巻きでつくる新政権は認められない」と繰り返した。8月26日の占拠開始以来、庭の芝生はすべてはがされ、「タイの顔」として賓客を迎えていた面影はない。

演説や歌謡ショーで24時間使うステージと、参加者を収容するテントは豪雨に耐える頑丈な造りになった。敷地の一部には稲が植えられて田んぼに。「収穫まで居座る」との意思表示だという。

しかし、占拠者や集会への参加者は減少気味だ。平日は1500人程度で、最盛期の数分の一。サマック政権退陣という当初の目標を達したうえ、挑発的な前首相から物腰の柔らかいソムチャイ首相に代わり、対応の見直しを迫られている。

世論の支持も高くない。国会議員の一部を任命制にする「新政策」の策定作業を進め、求心力の維持に苦心するが、引くに引けない事情もある。幹部9人に国家反逆容疑の逮捕状が出ており、占拠を解けば逮捕されるからだ。

一方、本来なら首相府に集まるはずの新閣僚36人は25日午後、郊外のドンムアン空港に集まった。2年前の新空港完成で国内線の一部だけの運用となり、空き室があったことから政府が800万バーツ(約2500万円)をかけて「臨時首相府」に衣替えをした。来週からは、ここで閣議が開かれる。

今後の政局の節目の一つとなるのが、最大与党・国民の力党(PPP)の解党をめぐる裁判だ。すでに元副党首が選挙違反で有罪となり、憲法裁判所で解党と幹部全員の公民権停止が言い渡される公算が大きい。党員移籍の受け皿として21日に新党プアタイを旗揚げし、党首のスチャート副財務相を今回の組閣で財務相に昇格させた。

だが亡命で資産が没収される見通しとなった元首相の影響力が低下するなか、党は分裂含みだ。今回の組閣では激しいポスト争いが表面化し、かつての一枚岩の姿はない。解党を防ぐには憲法を改正するしかないが、PADのさらなる抵抗は確実だ。

状況を打開したいソムチャイ氏は首相に指名された直後に、PADのソンティ代表に直接電話して対話を呼びかけた。こうした姿勢に世論は好意的で首相支持率は7割を超えている。だが、PADがPPPの政権を認めない以上、妥協の余地は限られている。

バンコクでは11月に国王の姉の葬儀、12月には東アジアサミットなどが予定されており、下院解散による状況打開も難しく、八方ふさがりの状況だ。
【朝刊】2008年9月26日



<反政府勢力と治安部隊が衝突、2人死亡し約400人負傷>
タイで7日、反政府勢力と治安当局の衝突が激化、抗議を続ける民主市民連合(PAD)に警察が催涙弾などを発射し2人が死亡、400人近くが負傷した。

治安警察支援のため軍は非武装兵士を出動させたが、兵士はデモ隊の排除に消極的だった。

衝突の際、男性1人が車の爆発で死亡、デモに参加していた女性1人も死亡した。

アヌポン陸軍司令官は、クーデターになるのではないかとのうわさを否定した。司令官は記者団に「パニックになるべきではない。クーデターは国家のためにならず、兵士がそうした行動に出ることはない」と述べた。軍部は2年前、当事のタクシン首相を無血クーデターで追放した。

PADは、現政府はタクシン元首相の傀儡と主張し、4カ月にわたり抗議行動を続けている。
【夕刊】2008年10月7日



<タクシン元首相に禁固2年判決>
タイの最高裁判所は21日、国有地を不正取得したとして汚職防止法違反の罪に問われたタクシン元首相夫妻に対する判決公判を開き、元首相に禁固2年の実刑を言い渡した。

元首相の不正を問う一連の裁判で初の有罪判決で、現政権を元首相の「操り人形」と批判する反政府勢力が勢いづくのは必至だ。

反政府派が、英国にいる元首相の身柄引き渡しを求めるよう政府に迫るのも確実。首相府の占拠が続き、陸軍司令官も首相退陣を求めるなど混迷が続くタイ政局は一層、出口が見えなくなってきた。

判決は、9人の判事のうち5人の多数意見。ポチャマン夫人については不正への関与を認めず、無罪とした。「法の正義が期待できない」として8月に英国に渡り、亡命を求めているとされる元首相夫妻は出廷しなかった。

判決によると、タクシン氏は首相時代の03年に、夫人がバンコク中心部の国有地を競売で購入した際に関与し、政治家の国有財産取得を禁じた法律に違反した。タクシン氏は判決後、AP通信などに「これは政治的な判決だ。世界はこれを民主主義とは認めないだろう」と述べた。

検察は一族の資産約760億バーツ(約2450億円)の没収を求める訴えも最高裁に起こしており、今回の判決は一連の裁判に影響を与える可能性がある。

今回の有罪判決を踏まえ、8月から首相府の占拠を続けている反政府団体・民主主義市民連合(PAD)は、元首相の義弟であるソムチャイ首相への退陣圧力を強めるとみられる。政府が英国に対し、元首相の身柄引き渡しを求めなければ、ソムチャイ首相への風あたりが、さらに強まるのは間違いない。

タクシン元首相や一族に対する一連の裁判は、06年9月の軍事クーデターで元首相が事実上の国外追放となった後に、軍主導の政権のもとで相次いで起こされた。

昨年暮れの総選挙で元首相派の国民の力党が圧勝。元首相は1年5カ月ぶりに帰国したが、裁判所はこの間、元首相派に不利な判決を連発。元首相は危機感を抱き、出国を決意したとみられている。
【朝刊】2008年10月22日
【2008/08/26 00:00】 | 東南アジア |
フィリピン政府軍、イスラム勢力部隊を攻撃
フィリピン南部ミンダナオ島の北コタバト州で10日、フィリピン政府軍がイスラム武装勢力「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」の部隊を攻撃した。

政府側で少なくとも2人の負傷者が出て、住民約9千世帯が避難している。

和平に向けた交渉は合意覚書の署名直前まで進んでいたが、今回の衝突で交渉の行方に暗雲が漂っている。

政府は7日、MILFの部隊が一部地域を占拠しているとして、「24時間以内の撤退」を要求。MILF指導部は「再配置」に応じるとしたが、一部の現地司令官が撤退に応じなかった。

政府とMILFの和平予備交渉では、自治区を拡大して新たな統治機構を設置することなどで合意したが、5日の署名直前にフィリピン最高裁が署名の一時差し止めを決定したため、中断している。
【朝刊】



<和平目前で戦闘拡大>
フィリピン南部ミンダナオ島北コタバト州で10日に始まった政府軍とイスラム武装勢力「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」部隊の戦闘は03年の停戦合意以降、最大の武力衝突となった。

合意覚書の署名直前まで進んでいた和平交渉の行方も定かでなくなった。

ココナツの密林の上空を、比空軍の攻撃機2機が旋回を続ける。近くの住民(23)は「1時間前に急降下して爆弾を落とした。地上からも砲声が響いた」と話す。戦闘は州内の複数の地域で続いた。比政府によると、約16万人の住民が避難した。

比軍は2千人を動員。11日に最も激しい戦闘が起きた。12日、MILFの一部が撤退を始めたとの情報もあるが、この戦闘で比軍兵少なくとも2人が死亡、12人が負傷した。MILF側は31人が死亡したという。

戦闘の直接のきっかけは、同州の複数の集落を占拠したMILF部隊が政府の撤退要求に応じなかったこととされる。しかしMILF側は、政府の要求に応じる考えはあったが「民兵が攻撃してきた」と主張している。

民兵は地方政治家らの私兵で、比政府も統制できていないという。関係筋は「和平交渉の進展で既得権益を失うと考える有力者が民兵を動かしている」と指摘する。ミンダナオ島はイスラム教徒が多数派だったが、46年のフィリピン独立後にキリスト教徒が移住、多数派になった地域も多く、そうした地域では、イスラム勢力の自治権拡大への反発が強い。

MILFと政府は03年に停戦。断続的に続いた和平予備交渉で先月、住民投票を実施して自治区を拡大し、新たな統治機構を設置することなどで大筋合意した。

両者は今月5日に合意覚書に署名し、包括和平交渉を始める予定だったが、「政府は譲歩しすぎ」との批判が地元自治体などから上がり、島内の州知事らによる署名の差し止め申請を最高裁が認めた。これに対し、今度はMILFが反発。武力活動の活発化は、こうした動きへの反発と見る向きもある。
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【朝刊】2008年8月13日



<武装勢力との戦闘激化 市民ら32人死亡>
フィリピン南部ミンダナオ島での同政府軍とイスラム武装勢力「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」の戦闘が拡大している。

17日の同島南ラナオ州に続き、18日には北ラナオ州の複数の町をMILFの部隊が攻撃し、政府軍によると、市民28人と兵士・警察官4人が死亡した。

軍は攻勢を強めており、ミンダナオ紛争の和平に向けた交渉は先行きが見えなくなっている。

両者の和平予備交渉は、合意覚書の署名直前の今月4日、比最高裁が署名の一時差し止めを決定して中断。10日から北コタバト州で政府軍による空爆を含む激しい戦闘が3日間続いた。17日にはMILFが陸軍の車列を攻撃し、兵士ら8人が死亡。MILFの広報担当者は18日の戦闘について「指導部の裁可を得ていない行動」と説明しており、和平交渉の停滞に不満を持つ現場指揮官を統制できなくなっている可能性もある。
【夕刊】2008年8月19日
【2008/08/11 00:00】 | 東南アジア |
スー・チーさん軟禁延長「失望」、ASEAN外相会合
東南アジア諸国連合(ASEAN)の一連の会合が20日夜、ASEAN外相夕食会で始まった。

議長国シンガポールのヨー外相は夕食会後、ミャンマー(ビルマ)軍事政権が民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさんの自宅軟禁を延長したことに「深い失望を表明する」との議長声明を発表したうえで、ミャンマー外相が、スー・チーさんの軟禁期限が今後半年前後で来ると説明したことを明らかにした。

ヨー外相によると、ミャンマーのニャン・ウィン外相は席上、現行法下では軟禁期間は最長で6年間だと説明するなかでスー・チーさんの軟禁期限に言及した。期限後に解放される可能性についての言及はなかったという。軍政高官がスー・チーさんの軟禁期限について説明するのは異例。

議長声明は議長国の判断で出すことが出来る。ASEAN筋によると、ミャンマーなどは外相会議の共同声明でスー・チーさんの名を挙げて政治犯の解放などに言及することに反対していることから、議長声明での失望表明になったとみられる。

シンガポールはまた、世界遺産登録が決まったクメール寺院の領有権をめぐり、カンボジア、タイ両国が対立している問題で両国に自制を求める議長声明も発表した。

21日は外相会議を開き、基本法となるASEAN憲章の年内発効や域内人権機構の創設への取り組みを話し合う。人権機構では、政府高官レベルの作業委員会設置で基本合意する見通し。

シンガポール外務省は21日、同国のヨー外相がミャンマーのニャン・ウィン外相の説明として、アウン・サン・スー・チーさんの自宅軟禁の期限が「今後半年前後」と記者団に語ったのを「09年5月から半年後」と訂正した。ヨー外相が発言を誤解していたという。
【朝刊】
【2008/07/21 00:00】 | 東南アジア |
カンボジア国境、寺院領有めぐり緊張
カンボジア警察は15日、ユネスコの世界遺産登録が決まったクメール寺院プレアビヒアの境内に無断で侵入したとしてタイ人僧侶ら3人を拘束した。

これに対しタイ軍が兵士を動員して3人の解放を要求。カンボジア側はタイ軍の行動は「国境侵犯」だと非難。タイ側はこれを否定し、にらみあいが続いている。

カンボジア側は6月下旬、同寺院の領有権を主張して世界遺産登録に反対するタイのグループが抗議活動を続けたことから寺院を閉鎖していた。15日朝、3人がフェンスを乗り越えて侵入したため拘束した。タイの国旗を立てようとしたとの情報もある。

タイ側は軍部隊を動員して解放を要求。3人は数時間後に釈放されたが、タイ軍は調書や指紋原票の返還を求めている。さらに数百人の兵士が近くの国境紛争地帯に住むカンボジア人の追い出しを始めた。また、タイ軍兵士1人が途中で地雷を踏んで重傷を負った。アヌポン陸軍司令官は同日夜、「国境の治安確保のため部隊を増強した」と話した。

同寺院は62年、国際司法裁判所がカンボジア領と認定したが、周辺の領有権争いが続いた。カンボジアは昨年単独で寺院の世界遺産登録を申請。タイ政府は先月、登録にいったん同意したが、国内から強い反発を受けて撤回。それでも今月、登録が決定し、外相が辞任に追い込まれた。

一方のカンボジア側では遺産登録を祝う大規模な集会が催されるなど、双方でナショナリズムが高まっている。
080716_cambojia.jpg【朝刊】



<タイとカンボジアが交戦>
世界遺産登録されたクメール寺院プレアビヒア周辺の領有権をめぐって争うカンボジアとタイの両軍は3日午後、係争地内で一時的に交戦し、複数の負傷者が出た。両政府筋が明らかにした。

交戦の状況については双方で主張が異なる。カンボジア政府によると、係争地内に侵入したタイ軍が発砲、交戦となり、両軍に1人ずつのけが人が出た。一方、タイ政府はカンボジア軍が最初に発砲して交戦状態となり、タイ軍に負傷者2人が出たとしている。
【朝刊】2008年10月4日



<タイとカンボジア再び交戦、初の死者>
カンボジアとタイの両軍は15日午後、係争地内で再び交戦し、カンボジア兵2人が死亡、タイ側7人、カンボジア側2人が負傷した。

交戦は3日以来2度目で死者が出たのは初めて。

両国は外交解決を目指して13日に副首相会談を開いたが不調に終わり、双方が部隊を増強するなど緊張が高まっていた。

タイ軍筋によると、交戦は係争地内の2カ所で起き、約40分間続いた。タイ、カンボジア双方が「相手が銃撃を始めた」と主張している。カンボジア政府はタイ兵10人を拘束したと発表した。国境付近では両国の住民が避難を始めており、混乱が広がっている。

寺院周辺では3日に銃撃戦があったほか、6日にはタイ兵2人が地雷を踏んで重傷を負った。タイ軍はカンボジア軍が最近埋設した地雷だとして反発。部隊の一部がカンボジア領内に進入した。これに対しカンボジアのフン・セン首相が13日、「24時間以内に撤退しなければ戦争になる」と警告。その部隊は後退したが、タイ軍は国境地帯の兵力は逆に増強していた。
【朝刊】2008年10月16日
【2008/07/16 00:00】 | 東南アジア |
ミャンマー、サイクロン死者8万4千人
ミャンマー(ビルマ)の軍事政権は24日、先月のサイクロンによる死者が8万4537人、行方不明者が5万3836人にのぼると明らかにした。負傷者は約2万人という。

最大都市ヤンゴンで開いた国連、東南アジア諸国連合(ASEAN)との会合でチョー・トゥ副外相が被害状況を報告した。

軍政は5月16日、死者7万7738人、行方不明者5万5917人と発表していた。

国連は、被災者を240万人とし、これまでに支援の手が届いたのは130万人と推計している。死者・行方不明者数について、国連とASEANは「独自に集計する手段がない」としている。
【朝刊】
【2008/06/25 00:00】 | 東南アジア |
サイクロン1カ月
ミャンマー(ビルマ)をサイクロンが直撃してから、2日で1カ月がたつ。国連によると、被害が深刻なイラワジ・デルタ地帯では、被災者の4割にしか援助物資が届いていない。だが軍事政権は、「復興段階」に入ったことを強調し、避難所を閉鎖して被災者を強制的に追い出し始めていることがわかった。

激甚被災地、エヤワディ管区のボガレイに5月30日、朝日新聞の現地通信員が入った。

公立学校に当局が設けた避難所で暮らすドウ・ラさん(55)は「すべての家族を失い、私だけが生き残った。1人で村に帰るのはつらすぎる」と声を落とした。

ここには200人以上が避難しており、子どもが多い。10日前から管理者が「復旧作業が進む今、動ける者から避難所を出て、自宅へ戻るように」と言い始めた。管理者によるとすでに500人が退去した。帰宅準備中の避難民は「壊滅した村は簡単に修復できないことは誰もが分かっているのに」と不安がった。

ウ・タン・マウンさん(70)は娘夫婦と2人の孫を失った。「遺体だけでも」と何日も捜し続けたが見つからなかった。「孫たちの命を奪った村へ戻っても悲しみに耐えきれない」と言う。

国連人道問題調整事務所(OCHA)は5月30日、バンコクで会見し、「被災者の強制移動は断じて許されない」と軍政を非難。被災地は援助を届けられる環境にはなく、支援物資を受け取れない被災者が増える可能性があると指摘した。ヤンゴンの外交筋は「軍政の意図が読めない。自分の村は自分で復興しろということかもしれない」と困惑ぎみに話した。

軍政が国際社会の人的支援受け入れを表明してから1週間がたち、国連からは45人の入国が認められた。デルタ地帯でも10人以上の国連関係者が支援活動を開始した。

しかし、米国筋などによると、国際赤十字の30人、米国際開発局(USAID)の9人などには、いまだに査証も出ていない。東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国・シンガポールのリー・シェンロン首相が31日、軍政の対応を「遺憾」と語るなど、国際社会のいら立ちが再び高まりつつある。

5月25日に開かれた支援国会議で、軍政は107億ドルの援助を求めたが、国営新聞によると、各国の表明総額はいまのところ1億5千万ドルにとどまっている。軍政が人的支援受け入れなどを実行することを援助実施の条件にしている国も多いためだ。
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【朝刊】
【2008/06/01 00:00】 | 東南アジア |
ミャンマーの洪水画像公開
米航空宇宙局(NASA)は、ミャンマーを襲ったサイクロンによる洪水の様子を地球観測衛星「テラ」で撮影した画像を6日、公開した。

撮影は5日。可視光と赤外線のセンサーを組み合わせ、水の有無や植生別に着色した。

被害発生前の4月15日の画像と比較すると、川の河口や沿岸域が冠水を示す青色になり、被害前には茶色で示された樹木のない裸地が丸ごと冠水している様子がうかがえる。内陸の深くまで水に漬かっているところもある。
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上が被害前の4月15日、下が被害後の5月5日撮影。沿岸地域のにじんだ青色が冠水を示す。
【朝刊・産経新聞】
【2008/05/07 00:00】 | 東南アジア |
スマトラ島西部で大きな地震
インドネシア・スマトラ島北西のシムル島付近で20日午後3時(日本時間同5時)すぎ、強い地震があった。

米地質調査所によると地震の強さを示すマグニチュード(M)は7.5、震源の深さは約34キロ。ナングロアチェ州政府などによると、シムル島で少なくとも3人が死亡、25人程度がけがをした。損壊した家屋もあるという。

現地ラジオなどによると、揺れは2分ほど続き、住民の多くが避難した。最初の揺れの20分後と約1時間後にもM5程度の余震があった。
【朝刊】
【2008/02/21 23:59】 | 東南アジア |
東ティモールのホルタ大統領、銃撃され負傷
ノーベル平和賞受賞者のラモス・ホルタ東ティモール大統領(58)が11日、武装した反政府勢力に襲撃された。

ホルタ氏は腹部を撃たれ重傷。

駐留豪州軍の病院で緊急手術を受けた後、豪・ダーウィンの病院に運ばれた。容体は安定しているという。襲撃した反政府勢力のリーダー、アルフレド・レイナド少佐は銃撃戦で死亡。グスマオ首相も武装集団に襲撃されたが無事だった。

東ティモール政府は11日、非常事態を宣言、夜間の外出を禁じた。

ロイター通信などによると同日早朝、数人の武装集団がディリ郊外にあるホルタ氏の自宅を襲った。銃撃戦ではアルフレド少佐の仲間も死亡。ホルタ氏を警護していた国軍兵士が負傷した。グスマオ氏は緊急会見し、「国家への攻撃は失敗に終わった」と語った。

ホルタ氏は、インドネシアからの独立闘争の指導者の一人で、1996年に東ティモール紛争の平和解決への貢献でノーベル平和賞を受賞。昨年5月に大統領に就任した。

東ティモールでは2006年5月、軍の出身地差別への反発をきっかけに騒乱が起こり、30人以上が死亡した。騒乱で反乱軍を率いたアルフレド少佐は逮捕されたが、2006年8月に仲間約50人とともに刑務所を脱走。昨年3月には、治安維持にあたる豪州軍などが潜伏先を攻撃したが、身柄確保はできなかった。
【夕刊】
【2008/02/12 23:59】 | 東南アジア |
タイ下院、新首相にサマク党首を選出
タイ下院は28日、新しい首相にタクシン前首相派で最大与党「国民の力党」のサマク党首を選出した。

組閣を経て2006年9月の軍事クーデターから民政への移管が実現する。

元バンコク知事である同党首はこれまで、タクシン前首相の帰国問題を最優先課題に掲げており、新政権と軍や反タクシン勢力との衝突は必至とみられている。
【朝刊】



<タイのクーデター勢力「退場」>
タイの軍幹部らでつくる国家安全保障評議会が7日、解散した。

2006年9月のクーデター後に組織され、首相や立法議会を指名、内閣の上に君臨したが、タクシン元首相派の駆逐という最大の目的を達することができず、元首相直系の新政権に業務を引き継いだ。反タクシン派内では最後に仲間割れを繰り返し、惨めな退場となった。

陸軍本部で6人の将軍が並び、評議会解散の記者会見に臨んだ。成果と今後のクーデターの可能性を聞かれた議長代行のチャリット空軍司令官は「期待通りとは行かなかったが、全力を尽くした。もうクーデターは望まない。国の信用が大きく傷つくからだ」と語った。

クーデター時の陸軍司令官で、長く議長を務めたソンティ前副首相は姿を見せなかった。ソンティ氏は昨年末の総選挙でタクシン氏直系の国民の力党が圧勝した後、スラユット前首相に対し、「政権運営に失望した。やる気がないなら、首相を引き受けるべきではなかった」と無為無策ぶりを痛烈に批判した。

一方でソンティ氏はタクシン氏と電話で2回話したと述べ、和解したことを示唆した。「『兄弟』としての愛情ある会話だった。元首相が帰国したら一緒にゴルフをしようと話した」

経済週刊誌プチャガーンは4日、サプラン副国防次官の汚職疑惑を大きく報じた。同誌の創業者は反タクシン運動の中心人物で、クーデターの立役者だったサプラン次官の盟友とみられていた。疑惑報道は、反タクシン派の分裂の象徴と受け止められている。

総選挙でのタクシン派の圧勝と政権樹立を通じて最も権威を失墜したのはプレム枢密院議長とみられる。長く首相や陸軍司令官を務め、プミポン国王の側近とされるプレム氏はもともとタクシン氏と折り合いが悪く、元首相派からクーデターの黒幕と批判されてきた。

選挙時は野党民主党に肩入れし、選挙後は反タクシン派による連立を背後で画策したとしてサマック首相から「見えざる汚い手」と激しく攻撃された。プレム氏の邸宅前で昨年7月にデモをして逮捕された元首相側近が首相府相に起用され、顔に泥を塗られた形だ。

軍を中心とする反タクシン派は完敗したが、直ちに次のクーデターが仕掛けられると見る向きは少ない。軍に政権運営が難しいことが分かったほか、この間、権益は怠りなく確保したからだ。

軍予算はクーデター前の7割増。憲法に「最新兵器の保持」の条項とともに、クーデターを理由とした訴追の禁止も盛り込んだ。
【朝刊】2008年2月8日
【2008/01/29 23:59】 | 東南アジア |
フィリピンの高級ホテルで兵士が立てこもり
フィリピンのマニラにあるペニンシュラホテルで29日、兵士ら約25人がアロヨ大統領の退陣を求めて立てこもり、従業員、ジャーナリストや観光客らが足止めされていたが、特殊部隊が装甲車でホテルに突入した。

これを受けて、立てこもっていた兵士のリーダーは、立てこもりを中止する意向を表明した。
【朝刊】
【2007/11/30 23:59】 | 東南アジア |
インドネシアで6.7の地震
インドネシア東部のスンバワ島で、26日午前0時(日本時間同1時)ごろ、2度にわたり強い地震があり、同国政府によると、子供1人が死亡し、45人が負傷した。

インドネシア気象庁によると、地震はマグニチュード6.7で、震源地はスンバワ島のラバ北西48キロ付近で、深さ約45キロという。現地からの報道では、負傷者らは病院に運ばれ、重傷者も多いという。
【夕刊】
【2007/11/26 00:00】 | 東南アジア | トラックバック(0) | コメント(0) |
ポル・ポト裁判が初の公開審理
1970年代のカンボジア大虐殺に関与したポル・ポト政権元幹部らを裁く特別法廷が、21日、2006年の発足後初の公開審理をプノンペン郊外で開き、長期拘束に抗議して釈放を求めているカン・ケク・イウ元収容所長(66)をめぐる検察、弁護双方の意見を聞いて結審した。

来春開廷予定の本法廷に向けた試験公判として注目され、虐殺被害者の遺族ら約500人が傍聴した。

判決公判は来週以降の予定。20日から2日間にわたって開かれた公判では、元収容所長が、特別法廷による捜査以前の1999年に軍に拘束されて以来初めて公の場に姿を現した。

弁護側は、約8年半に及ぶ元収容所長の長期拘束は違法と主張。軍は元収容所長の裁判を開かないまま、7月に特別法廷に身柄を引き渡した。検察側は元収容所長がポト派最高幹部からの指示で拷問などを実行したとして人道に対する罪などに問われていると強調した。
【朝刊】
【2007/11/22 00:00】 | 東南アジア | トラックバック(0) | コメント(0) |
ASEAN首脳会議、地域統合に向けた憲章に署名
東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国首脳は、21日、シンガポールで開催した首脳会議で、地域統合に向けたASEAN憲章に署名した。

憲章は民主主義と人権の尊重を掲げているが、ミャンマー問題をめぐって各国の足並みが乱れるなど課題も残った。

加盟国首脳は、欧州連合(EU)型の自由貿易圏創設を目指す計画書にも署名。

ASEAN諸国は力強い経済成長を遂げているが、中国経済の急成長に伴う域内貿易の縮小、領土問題、法制度の違いなどが、自由貿易圏創設の大きな障害になると見方が出ている。
【ロイター・朝刊】
【2007/11/21 00:00】 | 東南アジア | トラックバック(0) | コメント(0) |
ミャンマー問題、ガンバリ氏報告見送り
東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国シンガポールのリー・シェンロン首相は、19日深夜(日本時間20日未明)、21日に開く東アジアサミットに招いていたガンバリ国連事務総長特別顧問(ミャンマー問題)の報告が取りやめになった、と発表した。

ASEAN首脳による夕食会で、同氏の出席が認められなかったため、という。また同氏の出席をめぐっては、中国政府が反対する書簡をASEAN各国に送っていたことが分かった。

ガンバリ氏は当初、東アジアサミットで16カ国の首脳に情勢報告する予定だった。リー首相によると、協議の中でミャンマーは「ガンバリ氏が出席するなら会議に参加しない」と発言。さらに「ガンバリ氏と協議をしたうえで民主化を進めていると主張した」という。

ガンバリ氏の出席にはマレーシア、インドネシアなども反対した。ガンバリ氏は「関心のある国との会合を持つ」(リー首相)という。

一方、これに先立ち、中国は書簡で「国連が対応している問題であり、東アジアサミットで取り上げるのはふさわしくない」と主張したという。

中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相は19日、ミャンマーのテイン・セイン首相と、9月下旬の反政府デモの武力弾圧後初めて首脳会談を行った。中国側によると、温首相は制裁など国際的な圧力に反対し、建設的な援助を続けることを表明した。今回の書簡もこうした立場に沿ったものと見られる。

ただ一方でミャンマー側に対し、「国連による調停を支持しており、民主化と和解が進むことを望んでいる」とクギを刺すことも忘れなかった。

中国のこうした姿勢の背景には、ミャンマーの最大の支援国である中国に対し、欧米諸国から影響力を行使するよう、風当たりが強まっていることがある。

中国外交筋によると、ガンバリ氏が今月初め、ミャンマーを訪れた際、中国は北京のミャンマー大使館を通じて軍政トップのタン・シュエ国家平和発展評議会議長に面会を働きかけた。また14日には、王毅外務次官が政府特使としてミャンマーを訪問するなど、批判をかわすための外交努力を重ねてきた。

しかしムチを使わず、アメばかりで民主化を促そうとする中国の「戦略」については、「軍政を延命させるだけで本当に効力を持つのか」(協議筋)という批判的な見方が根強い。

東アジアサミットは、ASEANのほか、中国やインドなどミャンマーと関係の深い国々が一堂に会する場として注目されていた。中国の反対は、本格的な議論を避ける狙いがあったとみられる。
【朝刊】
【2007/11/20 00:00】 | 東南アジア | トラックバック(0) | コメント(0) |
キュー・サムファン元議長が入院
カンボジア政府は、14日、旧ポル・ポト政権のキュー・サムファン元幹部会議長(76)を、タイ国境パイリンにある自宅からプノンペン市の病院に移送した。元議長は13日に脳卒中で倒れたという。

ポル・ポト派の元最高幹部を裁く特別法廷は、近く元議長を拘束するとみられるが、今回の移送に特別法廷は関与していないという。元議長は1998年に投降した後は罪に問われることなく、同派の拠点地域だったパイリンなどで自由に暮らしていた。
【朝刊】
【2007/11/15 00:00】 | 東南アジア | トラックバック(0) | コメント(0) |
フィリピン下院議会で爆発
13日午後8時(日本時間同午後9時)すぎ、マニラ首都圏ケソン市のフィリピン下院議会の玄関ロビー付近で大きな爆発があった。

国家警察などによると、南部バシラン州選出のイスラム有力政治家アクバル議員(47)と、別の議員の車の運転手1人が死亡し、少なくとも7人が負傷した。

デベネシア下院議長は同日夜、「政情不安をねらった爆弾テロだ」と非難。国家警察幹部は「アクバル氏を標的にしたテロの可能性がある」と語った。

爆発があった議会南棟の本会議場では直前まで審議が行われており、ロビーには議員やスタッフが残っていた。ロビーは爆発の衝撃で屋根の一部が崩れ落ち、その下敷きになった車もあった。

アクバル氏は反政府イスラム武装勢力の活動が活発なバシラン州の元知事。今年5月に下院に初当選し、地元では複数いる自分の妻を州知事や市長に就けるなど影響力を振るっていた。

フィリピンでは一般市民が巻き添えになるテロがたびたび起きている。だが、議会をねらうテロは珍しく、アロヨ政権は治安回復により厳しい対応を迫られそうだ。
【朝刊】



<アクバル下院議員が標的か>
フィリピン国家警察によると、13日夜に発生したマニラ首都圏ケソン市の比下院議会の爆発で、南部バシラン州選出のアクバル下院議員と、別の議員の女性スタッフ1人が死亡。死者は計3人になった。

警察は、議会の入り口にとめてあったバイクに爆弾が仕掛けられていた可能性があるとして捜査している。

アクバル氏は、知事を務めたバシラン州で大きな影響力を持つイスラム有力政治家で、今年5月の選挙で初当選した。かつてイスラム武装勢力の活動に加わり、同国の過激派アブサヤフの創設メンバーの一人だったとも言われる。

13日深夜に会見したプノ内相は「爆発は無差別ではなく、標的があったものとみられる」と発言。警察幹部も、アクバル氏がねらわれたとみる。これまでの調べでは、バイクの爆弾が遠隔操作で起爆させられた可能性があるという。
【夕刊】
【2007/11/14 00:00】 | 東南アジア | トラックバック(0) | コメント(0) |
ミャンマー軍政、議長会談拒否
ミャンマーを再訪中の国連のガンバリ事務総長特別顧問は、8日、ヤンゴンで民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんと面会後、出国した。

軍事政権幹部とスー・チーさんを交えた3者会談や軍政トップのタン・シュエ国家平和発展評議会議長との面会は拒否され、目に見える成果を上げることはできなかった。

スー・チーさんとの会談の詳細は不明。

同顧問はほかに、軍政が組織した僧侶団体の代表やスー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)幹部らと会談。国連現地事務所は「実質的対話が早期に始まることを期待する。同顧問は数週間以内に戻る」との声明を出した。

国営放送は同日夜、スー・チーさんとの面会の場面などガンバリ顧問の6日間の訪問の模様を放映。「スー・チーさんは9日、対話担当相、NLD幹部とそれぞれ会う」と予告した。「敵対姿勢を改める」など軍政の示す対話開始の条件を受け入れる形でNLD内部の意思統一を図るよう促すねらいとみられる。

同顧問が現地入りした3日、現地事務所は「使命を果たすまでとどまる」との声明を出した。

だが、面会できた最高位の軍政幹部はナンバー4のテイン・セイン首相。6日、チョー・サン情報相との会談で、スー・チーさんと対話担当相を交えた3者会談を提案したが拒否された。タン・シュエ議長にあてた潘基文(パン・ギムン)・国連事務総長のメッセージを本人に手渡すこともできなかった。

軍政側は国連現地事務所が先月24日、同国の人権状況を批判する声明を出したことに反発。2日、ヤンゴン駐在のペトリー国連常駐調整官に事実上の国外退去処分にすると通告した。

これが軍政側の態度硬化の理由とされるが、デモの武力弾圧から1カ月半が過ぎ、「国際社会の関心がパキスタン情勢などに移ったとみて、譲歩する必要を感じなくなったのではないか」(外交筋)との見方もある。

同顧問は軍政に民主化努力を促す前にペトリー氏の扱いを協議せざるをえなかった上、軍政側からは「前回の訪問は欧米の制裁につながり、国民は一層窮地に陥った」(チョー・サン情報相)と抗議された。
【朝刊】
【2007/11/09 00:00】 | 東南アジア | トラックバック(0) | コメント(0) |
ミャンマー、僧侶100人デモ
ミャンマー中部パコクで、31日朝、僧侶約100人が約1時間にわたってデモ行進した。

目撃者によると、反政府スローガンは一切掲げず、軍事政権の批判もしなかった。軍政側も僧侶を拘束するなどの動きを見せていないという。僧侶のデモは、軍政が一連の大規模反政府デモを武力鎮圧して以降、初めてとみられる。

目撃者らの話では、僧侶たちは朝8時ごろから僧院に集まり、市民の健康などを祈りながら市中心部へ歩き出した。警察当局が道を閉鎖したり僧侶たちを止めたりすることもなく、デモは平穏に終わったという。

パコクは、一連の反政府デモが最大都市ヤンゴンなどで数万人規模に膨れあがる前の9月初め、燃料価格の値上げに抗議した僧侶が軍政当局者を僧院に閉じこめるなど早くから反政府行動の舞台となった。

また、外交筋は31日、ガンバリ国連事務総長特別顧問が11月3日にミャンマーを再訪問すると明らかにした。ヤンゴンから新首都ネピドーに移り、軍政側と会談する。
【朝刊】
【2007/11/01 00:00】 | 東南アジア | トラックバック(0) | コメント(0) |
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